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綾小路秀麿アイドルを語る

 第6回 1999年のアイドル


−こんばんわ、大三元ツモ夫です。hidemaro.comもようやく正式オープンということで、今日は約二年ぶりに綾小路秀麿先生にアイドルについて語っていただこうと思います。

(綾小路秀麿)「いつの間にか、時代も二十一世紀になっちゃったねえ」

−でも、先生がやっていることはちっとも変わりませんね。

「うーん、スズメ百までダンス忘れずってやつですか」

−は、はあ…。

「ダンスと言えば、最近はネコもシャクシもパラパラだねえ。パラパラってさあ、ジュリアナ全盛の頃、上野のアルクスでローカルに流行ってただけだと思ってたのに、avexのせいもあるけど、いまやダンスの主流だもんなあ」

−そもそも、パラパラって、何処から来たんですか?

「んー、ディスコブームはね、昭和43(1968)年、日本初のディスコテック赤坂『ムゲン』の開店により始まり(第一次ブーム)、『サタデーナイトフィーバー』(1977)による第二次ブーム、ギロッポン系ユーロディスコによる第三次ブーム(1985年の『マハラジャ』オープンから、1988年『トゥーリア』のバリライトが落ちるまで)、『ジュリアナ東京』(1991-94)による第四次ブームを経て、今日のパラパラによる第五次ブーム(1999-)に至るらしいよ」

−そうなんですか。

「『ムゲン』では三島由紀夫や川端康成なんかも踊ってたらしいからね。今と比べて途方もなく敷居が高かったらしい」

−黒服の服装チェックの起源だったりして。

「もしかしたらその名残かもね」

−ところで、パラパラは『第三次ブーム』なんだそうですが…

「どうもパラパラの起源は、1980年代半ばの第三次ブームの頃、a〜haの『Take on me』の「パパラパッパ、パパッパパラパラ…」って間奏のところの踊りからきたみたいだからねえ。だから、今第三次なんじゃないの」

−なるほど。ところで今日は、世紀末、ミレニアム、そして新世紀と3年分語っていただかなくてはいけないのですが、まずは1999年からいきましょうか。

「1999年ってなにがあったっけ?もうすっかり忘れちゃった(爆)。仕方ない、オリコン年鑑でもひっくり返してっと…、おお、そうか、こんなことがあったのね」

−なにがありましたか?

「99年はね、まず、ウタ公のアルバムがバカ売れしたでしょ。あと、あゆあゆとあみ〜ごがブレイクしたでしょ、それから、モーニング娘。がピンクレディになっちゃったと」

−シングルは「だんご3兄弟」がバカ売れ。歴代3位ですが、CDシングルとしては1位です。宇多田ヒカルは800万枚でもちろん歴代1位。

「街にはガングロチャパツのヤマンバギャルが溢れ、日本人の髪の色のデフォルトは茶色になった」

−髪の黒い女子高生がメル友に「黒く染めてるの?」と言われたという笑い話もありました。

「しかし、「だんご」といいウタ公といい、この一極集中ぶりは凄いね。イマドキの若者のコンサバさここに極まれりって感じかな」

−それにしてもウタ公はなんでここまで売れちゃったんですか?

「その前年(1998年)Misiaがブレイクしていたのがまず下地にあったね。ギョーカイではJ-R&Bなんて呼んでるけど、Misiaのブレイクで100万単位の市場が出来た。そこへ真打として現れたのがウタ公だったと」

−そうなんですか?

「ウタ公には有利な点が二つあった。ひとつは既に市場が出来ていたこと。もうひとつは、藤圭子の娘というネームバリュー。これでマスコミが実力以上に大きく取り上げてくれた。昔美空ひばりの時も言ったけど、今のスポーツ紙の編集長クラスはちょうど藤圭子世代。娘には思い入れがなくても、母親には思い入れがあるから、必要以上に大きく扱った」

−確かに売れ始めの頃は、若い社員と部課長クラスがウタ公を知っていても、その間の三十代周辺は知りませんでしたからねえ。

「若い人は流行り物として、五十がらみの人は藤圭子の娘として知っていたんだね。で、流行にかかずりあっていられない中核世代は知らなかったと」

−で、結局800万枚売ってしまいました。

「まあ、Misiaも200万以上売ってるから、そこまでは実力だね。で、そっから先はもう社会現象だ。ここで藤圭子の娘だということが効いたね。今みたいに大学生以下の若い人が市場の7割を握っているレコード市場では、300万枚売っていても多分国民の過半数はそのアーティストを知らないだろう。しかし、ウタ公は違った。藤圭子の娘というネームバリューが効いて、国民の殆どが知っている。で、あそこまで大化けしたと」

−では、「だんご3兄弟」はどうなんですか?

「あれは若い主婦層の横並び意識のおかげだろうねえ。幼稚園でだんごが流行ったら、のらないと排除されちゃうからねえ」

−売上も大体幼稚園児+保育園児の数くらいですもんねえ。

「でも、個人的に一番大事件だと思ったのは、モー娘。のピンクレディ化だね。「抱いてHOLD ON ME!」で一度頂点を極めたモ娘。だけど、その後は凋落の一途で、「ふるさと」なんて悲惨だった。これを救ったのがゴマキだった」

−ゴマキには最初から凄いオーラがありましたからね。

「ウタ公によるJ-R&Bブーム(笑)にかこつけたのかもしれないが、重陽の節句(笑)に発売された「LOVEマシーン」は大ヒット、特にカラオケでは年末年始にかけて14週連続一位。OLの皆さんも集団で歌っていた」

−つんくは勝負に勝ったわけですね。

「そう。しかし、これによりモー娘。の支持層は、それまでの男性中心から、大変残念なことに女子中高生中心に変化してしまったわけだ。つまり、狭義のアイドル歌手の定義から外れてしまったわけだね」

−それは残念でした。

「今レコードをどの層が買っているかは、『コンフィデンス』誌の「期待度ランキング」調査の標本のとり方からわかるんだけど、それによると、男女比は50:50だけど、年齢構成は、18歳以下が40%、19〜22歳が30%、23〜29歳が20%、30歳以上が10%なんだ。つまり、中高生で4割、大学生で3割、ヤンサラ(死語)2割、それ以上1割なんだよ」

−オリコン調査で99年のレコード総売上が約4300億円、AVソフト全体で約7000億円と言われていますが、その7割、約5000億円がいわゆるガキの小遣いの巻上げで成り立っているのですね。

「小中高大生一人あたりで年間約2万円。でも、今その支出はケータイに流れているけどね」

−ファミコンの登場で男性市場を侵され、今度はケータイで女性市場も脅かされているわけですね。

「そうなるかな」

−ところで先生、あゆあゆとあみ〜ごが抜けてしまいましたが。

「あゆあゆも今や押しも押されぬ若者の教祖だけれども、下積みが長かったからねえ。再デビューした時は、何で今更って思ったんだけど、いつの間にか来ちゃったねえ」

−どうしてなんでしょう?

「多分、SPEEDと入れ替わったんじゃないかなあ。SPEEDのガキの世界に飽きた女子高生が乗り換え先を探してて、ちょうどそこにはまったのではないかと。あみ〜ごもそうだと思うよ」

−SPEEDですか?

「今や皆忘れちゃってるけど、あゆあゆがブレークしたのは、つんくのやった「LOVE〜Destiny〜」で、これはCXの『セミダブル』の主題歌だったからねえ」

−『セミダブル』ってどんなドラマでしたっけ?

「ボクも見ていないからよくわからないんだけど、今は便利になったねえ、インターネットで一発検索。ふむふむ…、中井貴一と稲森いずみかあ…、なんか、5分くらい見た記憶があるぞ(爆)」

−ああ、つんく連ドラ初出演で話題になったやつですね。

「結局あゆあゆもつんく物か」

−ところで、あみ〜ごは目下引退の危機に直面していますが、あゆあゆとあみ〜ごの明暗を分けたものってなんなんでしょう。

「それは結局、自分が語る言葉を持っていたかだね。あゆあゆは全曲自作詞で、今や著作権収入でウハウハ…なのは置いといて、やっぱり人生経験の差が出たんだと思うよ。現代では若い女性の支持が得られないと難しいからね」

−なるほど。ところで、歌手以外ではいかがでした、1999年は?

「そうだねえ、まずはドラマではうりなっちの大ブレークかな。あと、グラビア系ではシャクちゃん。個人的にはこくぶ〜の方がいちおしなんだけどね」

−グラビア系は、ワンギャルという新しいブランドが出来て、活気付きましたからね。

「BiKiNiは終わっちゃったけどね」

−ところで、『NIPPONアイドル探偵団2000』の1位って中谷美紀なんですけど。

「何をどう操作すればそういう結論になるのかなあ。もう、呆れて物も言えないよ。2位のフカキョンが1位だったら納得できたんだけどなあ」

−あいかわらず、”ドラマ・CMアイドル探偵団”と、”歌手・グラビアアイドルを語る”では見解が合わないということですね。

「そういうことだ」

−さて、本当は3年分語っていただこうと思っていましたが、思ったより話が弾んで、世紀末しか語れませんでした。

「ミレニアムは、ま、次回ということで」

−それでは、今日はこの辺で。


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2001.3.17 Updated